食べることが苦手だ。
私は人よりごはんを食べるのが多くて、お腹いっぱい食べてしまったと反省してしまうこともしばしば。
お金と同じように、まだ正しい距離感をつかむのに苦労をしている。
おいしいものが出てきたとき、理想的な人はだれかと分かち合いたいと思うだろう。
でも、未熟な私は一人で食べ尽したいと思ってしまう。
私にはそんな質があると思っても、なかなか思い込みや思考が外れない。
お金がないと思ったとき、服がきついと思うとき、
とても寂しい気持ちになって反省する。
だれかの本に書いてあったけれども、地獄と天国は同じ場所らしい。
食事をするとき、長い箸になっていて、
地獄の人たちはその長い箸では食べられずに苦労をして、
天国の人たちは人と分かち合って食べるらしい。
私は死ぬまでに人と分かち合える人間になれるかというと、不安になる。
どうして、こんなにも私は食べてしまうのかと反省をする。
それはお金を使うときも同様。
あとから考えが浮かぶ虚しさとは、そのときに我を忘れてしまう業に自分が生まれついていて、
そんな自分が汚らわしいと否定をしていることだ。
食べることは、修行だ。
いかに自分が選べるか、楽しめるか、
人に楽しませてもらうのではなく、楽しい状況を待ち望むのではなく、
いかに楽しめる自分になれるか。
先は長いから焦らずに、
これからまたゆっくりと探求をしていきたいと思う。