だれかが考えるように、私は自分の未来を諦めたくない。
そうずっと諦めていて、勝負を挑まないようにしていた。
キラキラ輝いているだれかを見るとつらかったし、
幸せになりたいからこそ、人のことが羨ましいからこそ、
外側のものをたくさん手に入れた。
なにを手に入れても、自分の心は虚しく、
苦手なことはさらに強化されていき、変えられないことになっていった。
一瞬怖いと思ったときに、自分と寄り添えていれば、こんなに遠回りはしなかったのかもしれない。
遠回りと思うことは実際には遠回りではないかもしれないし、
フラットに考えられたして、自分を信じられたとして、自分を直視できたとして、
私は今の自分がやっていることを結局選んだのかもしれない。
こちら側から見ると、周りのキラキラしている世界はなにも悩みがないように見えて、
さぞかし、羨ましい世界が広がっていた。
でも、最近自分こちら側(持たざるもの)ではなく、
反対のあちら側(いまあるものを持っている自分)として見ると、
どんなに手に入れても、挑戦をしても、人との関係を築いている自分だとしても、
不安は消えないことがわかった。
どんなに素晴らしい人も、不安でたまらなかった。
そうか、私は人が持っているものにばかり目がいっていたけれども、
自分を切り拓くのは、謙虚であるしかなくて、
私はなにももっていないとすねていただけだったんだ。
自分が持っていない、能力がない、恵まれていない、チャンスがない、と思っていたけれど、
そんなもの、あってもなくても、立ち向かうからこそ勝手にまわりが整うものであったのに、
努力もしていないのに欲しがってばかりいて、
自分の手元にあるものに感謝もしていなかった。
自分の手中にあるものと遊ぼう、未来がどこまでも明るく広がっていることを信じよう。