自分の躓いているところは、いつも一緒。ジャンルが変わっても、同じようなこと。

私が苦手だと思うこと
・仕事
・片付けること
・家事
・人にかっとして人に感情をぶつけてしまうところ
・お金

私が出来ていないと思うのは、
結果が出ていないから、
理想とかけ離れているから、うまくいっていないと思う。
そして無意識に人と比較をしているから

うまくいっていないことを組み合わせると、
私がどういう人間なのか、なににこだわっているのか、
どういう質を持っているのかが分かる。
分かると自然に自分をかわいいと思える。

そう思いたかった自分がいる。

でも、そんな自分でもうまくいっていたり、
基準が高いからこそ、挑戦していたり、
学べているところがあって、それでもいいと思えると心が楽になってくる。

出来ないと思うこと、私は本当はどうしたいだろうか?
今まで良しとしてきたことをどうしたいだろうか。

仕事・・・
仕事を将来的には、もっと発展させたいっていう気持ちがある。
流れを変えたいという欲はあるけれども、いまはいま自分がやっていることをどうするか、
向き合えている自信があるからこそ、今持っている可能性を広げながら、
仕事についての苦手意識ともっと仲良くなっていきたい。

片付けること・・・
たくさんのものに囲まれた生活をしていて、その囲まれているものと仲良くなれたら、
どんなに生活が豊かになるだろうか。
手に入れるとき、私はワクワクした。こんな生活をしたい!と思って、
私はそのわくわくにお金を払ったけれども、理想的な生活をするのは習慣だった。
ものを買うことにより手に入る物もあるけれども、自分が自分ともっと仲良くなること、
自分を理解することで、変わっていくものがある。
自分を苦しめず、そして自分が持っているもの、過去持っていたもの、未来手に入れるものと、
楽しい関係を築けるように、自分を見つめていきたいと思う。

家事・・・
ものと同じかな。
完璧を求めすぎて、だれも私にプレッシャーをかけていないのに、
ちゃんとしなくちゃという思いが重荷になる。
私に幸せになってほしい、私と楽しい関係を築きたいと、
心配そうに私を覗き込んでくれている、私のまわりのものたち。
遊ぼうって行ってくれているのに、私はあなたのせいで幸せになれないと手をはねのける。
心から、はじまる。
一歩を大切にすること、一歩は一歩でしか無いこと、
私が誰か(特に私)を責めないことではじまる世界があると思うから、
日々の行動をもっと大切にしていきたいな。

かっとして人に感情をぶつけてしまうところ・・・
抑圧していものが、自分が意図せず噴き出してしまう。
噴き出したときに、抑えようがなく我を忘れてしまっている。
人が私に不都合を与えたわけではなく、私がこれくらい自分のことを理解しようとしていなくて、
そして、私が臨界点を迎えたことを告げてくれていて、
この世界では困ったことにはなるけれども、本人の幸せを願ってのこと。
まわりを蹴散らせ、私がもう不当な扱いを受けませんようにっていう、守り。
そのとき、私は自分を客観的にみていて、こうならなくてもよかったはずなのに、
なにを、どこを間違ってしまったんだろうと考える。
なに?どこ?ではなく、あり方の問題であり、人の人生において、やり直せないことはないから、
迷惑をかけてしまったときには、それをその人や別の人に返せるように、生き方を変えていこう。
「我慢」は人を幸せにしない。

お金・・・
お金とは、エネルギーであり、ほんとうにフラットなものなはずなのに、
設定やブロックを人は貼り付けてしまう。
いままで普通に使えていたものが、一度疑問を持つことにより、うまく使えなくなってしまう。
それはプロセスであり、まじめに忘れていたけれど、私は小さい頃、
「お金を貯めるのが上手」といわれていた。
私は工夫をしていて、創造的に生きていた。
それをやめることを選択してしまっていたけれど、もう一度いままでの生き方を統合したお金の使い方を実現したい。
なにをどうすればいいではなく、小さいところから、お金やもの、未来と過去との付き合い方を考えること、
そうすれば、きっと新しい世界が見えてくるようになる。

変えられないと思っていたことは、決して変えられないことではなかった。
表面的ななにかを願うのではなく、どんどん自分や自分の未来、過去からの贈り物、
自分を優しく見守ってくれているものに気がつくこと。

そうすれば、きっと今この瞬間から変わっていけるのだ。